ビッラ・モレッティ | 歴史・沿革

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ビッラ・モレッティの歴史

ビッラ・モレッティ:1859年創業から変わることのない品質へのこだわり

創業1857年

100年以上にわたる歴史

今から1世紀以上前、ルイジ・モレッティによって「ビールと製氷工場」がフリウリ地方ウーディネに設立されました。 当時のウーディネは、1350年頃に築かれた石造りの城壁に囲まれた静かな小さな町でした。 城壁の中では、人々が代々にわたって商業やモノづくりに励んでいました。ちょうどその頃、イタリアは国家統一という重要な局面を迎えます。

ウーディネ

当時この地方はオーストリア=ハンガリー帝国の統治下にあり、街ではしばしば独立運動が起きていました。こうした背景から、ウーディネを見下ろす城にはオーストリア軍が駐屯し、中央広場には大砲が設置されていたのです。

ビール醸造の始まり

有名なソルフェリーノの戦いと同じ年、不穏な情勢のなか、当時37歳のルイジ・モレッティは信念と確信を胸に醸造所の設立を決意します。

モレッティ家

裕福な商人の家に生まれたルイジ・モレッティは、家族がオーストリア近辺で卸取引をしていた関係で、穀物、ワイン、蒸留酒、食糧、ビールの卸売り業にも精通していました。 自分の小さな醸造所が将来どんな風に成長していくのか、この時はまだ想像もつかなかったに違いありません。

ビッラ・モレッティの最初のボトル

1860年の夏、ビッラ・モレッティの最初のボトルが販売されました。当時のボトルとは多少外観は異なりますが、その品質は今も変わらず受け継がれています。

1900年以降

フリウリからイタリア全土で親しまれるビールへ

マシンによる製造は当時としては非常に先進的であり、また今日に至るまで、最先端の設備が導入されています。1990年代以降、ビッラ・モレッティはフリウリのビールからイタリア全土で愛されるビールへと成長し、新たなファンを獲得し続けています。

1942年運命の出会い

1942年のある日、ルイジ・モレッティの甥は、ウーディネのレストラン、トラットリア・ボシェッティで1人の紳士を見かけます。その紳士の雰囲気こそ、どこかクラッシックで伝統的、そして本物という、まさにモレッティが求めていたものでした。

ビール瓶のラベルになるまで

そこで彼は紳士に近づき、写真を撮らせてくれないかと声をかけます。お返しは何がいいか、と聞かれた紳士の返事は「ビッラ・モレッティをもう1杯」、それだけだったといいます。 以来、ビッラ・モレッティのラベルにはその紳士の写真が使われ、私たちの原点と目指すべき姿を象徴するものとなっています。

「ひげを蓄えた老紳士」

販売店でこの広告を目にした多くの男性が、広告の人物はまさに自分たちではないか、と思ったといいます。「ひげを蓄えた老紳士」はそれほどまでに「リアル」なキャラクターだったのです。 何年にもわたって、さまざまな俳優がこの紳士を演じてきました。1970年代には、著名なアーティスト、ブルーノ・ボツェットが、ビッラ・モレッティのジョッキを持った「ラベルの男」を主人公に、漫画広告シリーズを制作しています。

現在

創業から150年、ビッラ・モレッティは国境を超えて世界へ

今日、ビッラ・モレッティは、米国、英国、カナダ、日本を含む世界40カ国以上に輸出され、数々の国際的な賞を受賞しています。2006年ビッラ・モレッティは、ビール業界にとって最も権威のある国際コンクール、ワールド・ビア・カップ(WBC)において、金賞と銀賞の両方を獲得した唯一のイタリアン・ブランドとなりました。

イタリアで唯一の受賞ビール

また同時期に、南半球では高いレベルを誇るオーストラリアの国際ビール品評会でも5つのメダルを獲得し、ビッラ・モレッティ・ビールの品質の高さを裏づけるものとなっています。 ビッラ・モレッティ・グループにとって、こうした受賞は大きな快挙でした。ドイツやアメリカのビールが君臨する世界のビール市場で、イタリアのビールとして唯一、栄冠を手にし、その地位を築いていったのです。 そしてもちろん、私たちの挑戦はまだまだ続きます。